実は、そんなことは、神饌を見ればすぐにわかる。倭の箸とは、竹製トングなのだ。口に食べ物を運ぶものではなく、取り皿に移すための、「取り箸」である。食べる際は、取り分けた御皿から各自頂戴する。この際は「手食」だったということ。
この「手食」動作を“雑”で“粗野”と見てはいけない。宮中の新嘗祭の祭具には、手水用の土器“多志良加”が用意されており、手拭を入れる“葛筥”が含まれていることでわかる通り、細かな「手食」マナーがあったと思われる。現代の箸使いのルールとは、この辺りの習慣が残っている可能性が高い。洗練された仕草だったということ。