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市場がタイ料理の最前線であったことは疑いないが、さらにもう一つ、王宮の重要性も忘れてはならない。交易性の強いアユタヤーの王宮には、様々な外国からの料理が運ばれたであろうし、そうした目新しい料理に刺激を受けて、それまでになかった工夫が行われ、贅沢な新しい料理が編み出されたのではなかろうか。さらには宮中に働く何百、何千という女性たちによって、宮中の習わしや言葉とともに、一般の社会にも少しずつであれ伝えられ、家庭料理にも影響を与えたはずである。現在、タイの代表的なお菓子としてみなされているトーン・イップ、トーン・ヨート、モー・ケーンなどもこの時代にポルトガルから女官を通じてもたられ、タイ風にアレンジされたものなのである。
このようにアユタヤーという都の内部においてさえも、その内部に多くの異文化を包含しており、市場や宮殿を通じてそれらの文化が持つ食文化の伝統が交換され、混ぜ合わされてきた。しかし、アユタヤーが受けた外国の影響は、その内部の異文化や交易活動によるものだけではない。アユタヤーはその400年の歴史の中で、何度も異民族の支配を受けたのである。アユタヤー自身は、1563年から1564年にかけてビルマのバインナウン王の征服を受け、その後30年あまり、ペグーの属国に甘んじなければならなかった。北部の諸ムアンも16世紀中盤から18世紀後半にいたる2世紀半にわたってビルマの支配を受け、宗教や言語面でその影響を蒙っている。その反面、アユタヤーは、1431年にはアンコール帝国を攻略し、行政システムや言語、建築技術などをカンボジアから移植している。生活全般に広く残っているカンボジアの影響のなかには、もちろん生活文化の大きな一部である食文化も含まれているに違いない。南タイの諸ムアンにしても、マレー的な生活から様々な影響を受けて、現在の地方色を形作っている。
by lohasukenzai
| 2013-10-18 14:56
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