カテゴリ
以前の記事
2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 フォロー中のブログ
リンク集2
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
1980年代に、アマゾンなどの熱帯雨林が猛烈なスピードで伐採されました。
1年間に日本国土の4割くらいにあたる面積の森林が失われた、といわれています。 森林破壊は、同時に膨大な量の生物を絶滅させることでもありました。 (世界の生物種の約75%がいるといわれている熱帯林で1種の生物が絶滅すれば、 その生物に依存して生きている昆虫など、10~30種の生物が絶滅の危機に陥ります。) ![]() ■
[PR]
▲
by lohasukenzai
| 2014-04-18 14:40
「新・生物多様性国家戦略」とは 1992年、リオ・デ・ジャネイロでの地球サミット開催にあわせて、 「気候変動枠組条約」とともに「生物多様性条約」が採択されました。 この条約では、生物多様性を遺伝子、種、生態系の3つのレベルでとらえ、 いずれも保全する必要があるとしています。 ![]() ■
[PR]
▲
by lohasukenzai
| 2014-04-18 14:39
▲
by lohasukenzai
| 2014-04-18 10:03
一方、外国との交渉という視点からみると、アユタヤーは西にビルマ、東にアンコール帝国に接してあり、南にはマレー世界が広がっていた。すでに述べたように、アユタヤーの本質は交易ネットワークに支えられた巨大なムアン群の長であり、最大の市場であるから、町には交易を目的とした商人が様々な地方から集まり暮らしていた。そこには当然それまでのタイ族がもっていなかった食材があり、調理法があり、食習慣が存在していたのである。アユタヤーは当時の食文化にとって、ちょっとした展示場であり、交流の舞台だったといっていい。17世紀のアユタヤーに派遣されたフランス人使節シモン・ド・ラ・ルベールの記録によれば、当時のアユタヤーには40余もの民族が住んでいたという。中国人やペグーから来たモーン族、ヴェトナム人、カンボジア人、オランダ人、ポルトガル人、マカッサル族、日本人などは、それぞれ自治性の強い町を作ってシャム王から官位を受けた頭領のもとに交易に従事していた。そこには当然ながら市場も発生したであろうし、内部ではそれぞれの民族の持つ料理が食べられていたことであろう。
![]() ■
[PR]
▲
by lohasukenzai
| 2014-04-17 14:54
一方、外国との交渉という視点からみると、アユタヤーは西にビルマ、東にアンコール帝国に接してあり、南にはマレー世界が広がっていた。すでに述べたように、アユタヤーの本質は交易ネットワークに支えられた巨大なムアン群の長であり、最大の市場であるから、町には交易を目的とした商人が様々な地方から集まり暮らしていた。そこには当然それまでのタイ族がもっていなかった食材があり、調理法があり、食習慣が存在していたのである。アユタヤーは当時の食文化にとって、ちょっとした展示場であり、交流の舞台だったといっていい。17世紀のアユタヤーに派遣されたフランス人使節シモン・ド・ラ・ルベールの記録によれば、当時のアユタヤーには40余もの民族が住んでいたという。中国人やペグーから来たモーン族、ヴェトナム人、カンボジア人、オランダ人、ポルトガル人、マカッサル族、日本人などは、それぞれ自治性の強い町を作ってシャム王から官位を受けた頭領のもとに交易に従事していた。そこには当然ながら市場も発生したであろうし、内部ではそれぞれの民族の持つ料理が食べられていたことであろう。
![]() ■
[PR]
▲
by lohasukenzai
| 2014-04-17 14:54
アユタヤー時代とは、一般的に1350年にアユタヤーに王権がたって、1767年に進入してきたビルマ軍によってアユタヤーが壊滅されるまでの約400年間である。しかし、実際はこの時期ずっと同じアユタヤーに王宮があったわけでもなくアユタヤーだけが統一的な国家を形成していたわけではない。それぞれの地方にはムアンと呼ばれる大きな町が、それぞれで領主をもっていた。そして、その下に小さなムアンが存在していた。このように、アユタヤー時代は交易ネットワークが発達した時代であるとともに、各ムアンの関係が密になった時代でもあった。関係が密になれば文化的な交流は自然に起こってくる。人が交われば、婚姻関係も生まれ、すぐに台所レベルでの文化交流が始まってくるからである。各ムアンはそれまで培ってきた、それぞれの自然環境を背景にした食生活の伝統を交換し、影響を与えあって、現在のタイ料理につながる地方料理の伝統を形成していった。
![]() ■
[PR]
▲
by lohasukenzai
| 2014-04-17 14:52
▲
by lohasukenzai
| 2014-04-16 15:21
自然農法では、昔の農業を行います。
その土で育った野菜は、その土の特性を覚え、徐々にその地でより良く育つための性質を獲得していきます。何年も種を同じ地で更新して行くことにより、その土地にあった野菜になっていくのです。 ![]() ■
[PR]
▲
by lohasukenzai
| 2014-04-16 15:20
▲
by lohasukenzai
| 2014-04-16 15:18
|
ファン申請 |
||
外部サイトRSS追加 |
||